アゴス・ジャパン元受講生で、フリーマン奨学金を獲得したWesleyan Universityをはじめ多数のトップリベラルアーツ校や上智大学に合格された河本理帆さん。コネチカット州ミドルタウンより名門リベラルアーツ校の最新情報を発信していきます。
◇ 2019年10月 ぼやき
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◇ 2019年10月 ぼやき
時の巡りとは早いもので、もう3年生。アメリカの大学に来て2年が過ぎ、パリ留学を終えてから5ヶ月も経ってしまいました。気づけば秋学期も半分終わってしまったという具合です。
ここ数ヶ月、学業以外でぼんやりと悩んでいることがあったのですが、つい先日危惧していたことが起こってしまったので、振り返りを兼ねて少し綴ろうかと思います。
というのも、意思疎通というのが最近どんどん難しくなっているように感じるのです。言語の壁も残っていますが(それが日本語にしても、英語にしても)、それ以上に価値観や経験、人生観において周囲との違いがコミュニケーションの妨げになっていると思うようになりました。
例えば、友好関係において。3年生にもなると、知り合いの数も増え交友の輪が広がります。一定の少人数でつるむのではなく、クラスメイトだったりクラブ活動の仲間だったり色々な人と会う機会が増えました。特に先学期(二年の春学期)にパリ留学をしていた私は、学期+休暇の9ヶ月分の溝を埋めようと焦っていたところがありました。
自らアウトリーチをした結果、今まで以上に友達との予定を立てることができました。よく言えば多くの人と会って話す機会を設けていけたということです。
その反面、(授業が忙しかったこともあり)一人一人と過ごす時間が限られ、会話の内容において深みのない表面的なやりとりが増えてしまったように感じるようになりました。
会話の質が落ちたことに云々言いたいのではなく、会話相手とのズレを感じるようになったことが去年までとの違いであり、悩みの要因となり尾を引く結果になりました。
これまで仲良くしていた友達との場合、相手の基本的な価値観は覚えていたとしても、最近の生活、普段の仕事・活動などは把握しておらず、相手の主張を掴めないように感じるのです。英語では “not on the same page” というのですが、同じことを話しているはずなのに話がうまく噛み合っていないような状況の時に、よくこのフレーズが脳裏をかすります。
特に画面越しで意思疎通を図る時、相手の感情が分かりにくく理解に困ることがあります。相手が本気で怒っているのか、それとも単に言葉が悪いのか。また相手の発する言葉が全てを説明しているのか。またはテキストの内容の他に何か言い漏らしていること、隠していることがあるのか。このように、ズレの原因は様々で、このズレを補正する相互理解や追加の会話などがない限り認識の差は広がっていくばかりなのです。
前述の通り、今学期前半は友達一人一人と過ごす時間が短くなってしまったため、このズレを直すに至らずやり過ごしてしまったのかもしれません。そのためか、向こうが何を指して「当たり前」、「普段の生活」と言っているのか分からなくなってしまいました。
世間の常識と私の価値観に差があることは前々から認識していたのですが、親しい仲でも日頃の意思疎通を怠ると認識の食い違いが生じてしまうのですね。
今回起きた友達とのちょっとしたトラブルも、この意思疎通の問題の延長線上にあったわけですが、今までこのようなことがなかった間柄だっただけにショックも大きくなりました。
このトラブルについては、そう遠くないうちに和解できるだろうと淡く期待しているのですが、意思疎通についての問題はしばらくつきまとうと予想できるので、次の問題が起こらぬよう注意していきたいところです。
この投稿は自己教訓を目的に書いたものですが、稚拙な文章を最後まで読んでくださりありがとうございます。
それでは、また。
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◇ 2017年12月 秋学期を振り返って
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◇ 2017年12月 秋学期を振り返って
初めての寮暮らし。初めての海外生活。初めての・・・
「初めて」ばかりの日々の中で一番恋しかったのは浴槽でした。銭湯や温泉に行きたくなってしまうのは、カルチュアル・アイデンティティなのでしょうか。
アイデンティティというと、ここ数ヶ月は今まで出くわしたことのなかった思想・意見をもつ人たちを知り合えた学期になりました。
生活習慣や信仰心、性別などについてもそれぞれ自分の考えを持っている周囲。それに対し、日本での慣習思想によって反射的に自己定義してしまっている私。
自分って何者なのか。私にとって不可欠な自己構成要素とは何なんだろうか。
まずはレベルを下げて、「私はどんな人物なのか」につて考えると、ある程度容易に形容詞は思い浮かんではきます。去年、出願エッセイを書くときに時間を割いて色々考えただけありました。
ただ、やはりアイデンティティとなるとなかなか難しいみたいです。私が自分らしくいるのは、私が私として存在していくのにはどうしたら良いのだろう・・・。
ましては、単なる個としてのアイデンティティの他にも、家族として、市民として、国民として、そしておそらくウェズリアン生として・・・などと考えたいことはたくさんあります。
何だか保育園、小学校にいるときの方が、もっとはっきりとした自分自身のイメージをもっていた記憶があります。歳を重ねるごとに、私自身のことがよくわからなくなってしまっているような感覚です。
去年の今頃は、エッセイをやって一時的な自己理解感に満たされていたような気がしますが、あれは序の口だったようです。自分探しはこれからも続きそうです。
こんなことを何となく考えていたらウェズリアンでの初めての学期が終わってしまいました。これからは大学生初めての冬休みを楽しもうと思います。
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◇ 2017年11月 Thanksgiving break
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◇ 2017年11月 Thanksgiving break
投稿が滞ってしまいました。あれよこれよという間に年も明けてしまい、時の流れの早さに今一度驚かせられます。
ともかく11月は忙しくも充実した時期でした。特にThanksgiving breakは、今学期で一番楽しかった経験になりました。今回はその時の思い出について書こうと思います。
Fall break同様、休みの間は食堂が閉まり、学生も家に帰ったりするので大学は静かになります。5日間にわたるThanksgivingは、知り合いのアメリカ人に招待してもらい中西部のセントルイスという町で過ごしました。
8月の渡米では同じ大学の友達と来たので、今回のフライトは初めてのアメリカ一人旅となりました。もともと外出が好きなこともあり、大学を離れ空港に行くだけでも気分が高揚したのを今でも覚えています。
日本で生まれ育った私にとって初めてのThanksgiving。何も知らなかった私に、ホストファミリーが食事からアメフト観戦、ブラックフライデーといった「いろは」を教えてくれました。
大きな七面鳥や自家製パイ、グレイビーソースなどを食べたり、ホストブラザーにアメフトのルールを教えてもらったりしました。
ホストマザーとの買い出しや料理は楽しく、日本にはない食材や形・大きさの異なる料理器具を使っての調理には新たな発見がありました。
ショッピングや映画に行ったり、ボタニカル・ガーデンに連れて行ってもらったりする中で、心のクレンジングができ、改めてウェズリアンでの生活を振り返る良い機会となりました。
滞在最終日の日曜日までには今まで以上に心も体も元気になり、息抜きの大切さに気付かされました。これからも心身の健康を大事にしていきたいです。
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◇ 2017年10月 初めてのFall break
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◇ 2017年10月 初めてのFall break
渡米してから早くも一ヶ月半が経ちFall breakになりました。
授業の内容も深くなってきて、忙しくも充実した毎日を送っています。
今学期受けている5つの授業の中で、今回はwriting intensiveの授業2つについて紹介しようと思います。
1つは英語の少人数クラスで、留学生の割合が多い授業です。ただ全学年対象になっていて、私のような一年の留学生だけではなく、学年と出身地が様々な学生が集まっています。
この授業では、reading homeworkについてのディスカッションやessayのpeer reviewを行います。
もう1つはFirst Year Seminar (FYS)と呼ばれる一年生対象の少人数クラスで、私は宗教の授業を取っています。
こちらもディスカッションベースの授業になっていて、教授と学生が円形に座って話し合います。お金と宗教の関係性についての授業なので、これまでに Max WeberやAdam Smith, Karl Marxなどの経済学についての本も読みました。
中高生の時に世界史の資料集に載っていた人のイメージから、授業で扱う本の筆者という新しい位置づけになると、俄然と親近感が湧き四苦八苦しながらも楽しみながら学べました。
FYSで書くpaperは教授とのやりとりになるので、クラス内のための宿題とは別に課されます。それなりに時間がかかりますが、教授からコメントをいただけるのは嬉しいですし書く時の励みになります。
どちらの授業とも、writing assignmentに対して教授が丁寧にコメントしてくれたり、一回提出して完了ではなく書き直す機会をくれたりして小規模クラスの良さを感じています。また、ディスカッション形式の授業によって、クラスメイトとお互いの意見をぶつけ合いながら学んでいけるところが気に入っています。
Fall break後も、引き続き頑張っていきたいと思います。
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◇ 2017年9月 はじめまして
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◇ 2017年9月 はじめまして
はじめまして。
Wesleyan University 1年の河本理帆です。
これから留学体験記を投稿していく予定です。
初回のこの記事では自己紹介と進学大学を決めた理由について書こうと思います。
私は渡米前まで海外での在住経験がなく、小中高と公立学校に通っていました。親の理解もあり、小さい頃から英会話の習い事はしていましたが、英文法やライティングの勉強し始めたのは中学の授業だったと記憶しています。
外出や旅行は幼いころから好きでしたし、海外旅行などとはほとんど縁のない家庭でしたが、いつかくるチャンスのために英語を学んでいる節はありました。
海外大学を考えるようになった理由の1つも、一度日本から出て、外国の教育機関で学んでみたいと思ったからです。 自分とは違うバックグラウンドの人が日本をどのように捉えているのかということに興味を持ったことは1つのきっかけになりました。色々な事情から結果として海外大学進学となりましたが、小・中学生のころはまだはっきりとしたビジョンはなかった気がします。
海外大学への受験について対策をし始めたのは高校一年生の春からでした。スタート時期は人それぞれだと思いますが、私の場合はこの時期から始めることができて良かったと考えています。
同じように進学先の決め方についても様々だと思います。私の場合、Wesleyanが海外のリベラルアーツ大学のことを知るきっかけになったということが決めての1つになりました。他にも、授業科目や専攻の多さ、立地、経済的な理由から絞りました。
渡米して約2ヶ月、忙しく慌ただしくはありますが、学ぶ喜びがある日々に感謝しながら過ごしています。
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