◇ 2012年4月 ウィリアムズの学生生活〜アメリカでのGPAについて〜
◇ 2012年3月 ウィリアムズの学生生活〜日常編:春休み〜
◇ 2012年3月 ウィリアムズの学生生活〜授業編:中間試験〜
◇ 2012年2月 ウィリアムズの学生生活〜日常編:疲労感と筋肉痛はマブタチ〜
◇ 2012年2月 ウィリアムズの学生生活〜授業編:今学期の授業〜
◇ 2012年1月 ウィリアムズの学生生活〜Winter Study〜
◇ 2011年12月 ウィリアムズの学生生活〜日常編・この年のまとめ:二人目の存在〜
◇ 2011年12月 ウィリアムズの学生生活〜学生生活編:「有言」実行〜
◇ 2011年11月 ウィリアムズの学生生活〜日常編:人種差別〜
この記事を折りたたむ
|
◇ 2011年11月 ウィリアムズの学生生活〜日常編:人種差別〜
<日常編>
さてさて日常編です。非日常的な話題を取り扱います。
「人種差別」
日本では実感することがありませんでしたが、多くの人種が集まるアメリカでは人種の問題はかなり敏感な問題です。これから、私の学校で起こった、ある日の授業を全てキャンセルするにまで繋がった事件についてお伝えします。
この事件に関しては、実際に送られた英語のメールをそのままのせています。
○事件発生
11月18日、金曜日の夜。Prospective houseという寮の壁に、
“All Niggers Must Die.”
という人種差別的な落書きが書かれました。金曜日は皆がパーティーを開いてお酒を飲みまくっているので誰かが酔って書いたのだろう、とはじめは軽く捉えられていました。ただし、けしからんだけじゃすまないぞ、という内容のメールが学長から送られました。以下に原文を載せます。
@学長からのメールその1
To the Williams Community,
It is both saddening and upsetting to report that a racially hateful phrase was written last night on a wall in a student residence hall. It did not seem targeted at an individual. The writing was removed and a full investigation begun.
There is no place at Williams for such behavior. In addition to the effort to identify whoever is responsible, we will be in touch regarding ways that we can together respond to this attempt to disrupt our community.
その後学長の呼びかけで人種差別に関して生徒・教授を含めた多くのミーティングが開かれました。その後また学長から全校生徒へ、事件の詳しい内容と学校の対応が送られました。ちょっと長かったので、冒頭だけ原文をのせます。(元のメールはこの3倍くらいの長さでした。)
A学長からのメールその2
To the Williams Community,
We want to report to you the full facts of what took place early Saturday morning. What follows here is very disturbing.
On Saturday at around 12:30 a.m. a student called Campus Safety and Security to report seeing scrawled on a hallway wall on the fourth floor of Prospect Hall the phrase “All Niggers Must Die.” We are horrified by this act and regret needing to repeat such language in a college communication.
学長の呼びかけで、さらに大規模な(200人規模)の学生のミーティングが開かれました。しかし、一部の学生が、これは学校全体で取り扱うべき重大な問題だということを学長に抗議しました。その結果、次の月曜日の授業は全てキャンセルになり、朝は人種差別反対のデモ行進、昼は大学の様々な部門のトップによる演説と生徒によるオープンマイクが行われました。では、授業がキャンセルになったときのメールの冒頭をどうぞ。
学長からのメールその3
After consulting with the Faculty Steering Committee, we have decided to cancel all classes and athletic practices tomorrow (Monday). We understand how this disrupts important college functions, but in the wake of a shock such as this, the campus community needs to take a pause. An event that we expect all available students, faculty, and staff to attend will take place at 11 a.m. on Chapin Lawn. Details of that will be sent later. We also hope that all those attending will be able to find ways to have lunch together in small groups.
全てに一段落がついた後に学長から送られたメールの全文を載せます。
学長からのメールその4
To the Williams Community,
In the wake of such a powerfully moving day for me personally and for the college, I want to express appreciation to all involved.
Thank you if you helped push for the cancelation of classes and practices so that we could take a moment to reflect together.
Thank you for the courage it took for so many of you to stand before a crowd of people and tell your heartfelt, often painful, story, and for all who made the commitment to march, to attend, and to listen.
Thank you to the many staff and faculty who helped support students and each other at this challenging moment and who, often behind the scenes, made the logistics work.
And thank you for the energy to continue these conversations, to generate ideas, and to take action toward making this a campus on which such painful stories are a thing of the past. The main lesson of recent days is not just the importance but the urgency of that work.
We will continue the effort to find and hold accountable the perpetrator(s) of last weekend’s crime. And, as was said by so many yesterday so eloquently, all of us who care about this college must strive to hold ourselves accountable for the quality of our community.
With a heart full of gratitude, I look forward to doing this work with you.
月曜日のイベントに全て私は参加しましたが、印象的だったのは、人種差別は何も今回ターゲットになった黒人だけではないということです。デモの時も、”Black, White, Yellow, Brown, Same struggle, same pain!”というフレーズが言われたり、オープンマイクの時にもいろいろな学生の人種に関わる問題を聞きました。さらに人種だけではなく、アジア人とアジアンアメリカンに関わる問題なども、根深い問題であるということがわかりました。詳しい内容は載せませんが、人種について深く考えることになった事件でした。
(終わりに)
最後まで読んでくださりありがとうございました!
12月号では、今月号に載せられなかった学生生活について色々と書こうかなと思っています。
○告知
12月24日の13:00から15:00まで、「イエール大学 vs ウイリアムズカレッジ アイビーリーグとリベラルアーツカレッジ徹底比較」というイベントがagosで行われます。イエール大学からは、前回紹介させていただいた留学情報サイト発起人の田口君が参加します。ブログでは書ききれなかったところも喋ろうと思いますので、クリスマスイブで恐縮ですが、来ていただけると嬉しいです。
|










|
この記事の先頭へ戻る
◇ 2011年11月 ウィリアムズの学生生活〜授業編:中間試験〜
この記事を折りたたむ
|
◇ 2011年11月 ウィリアムズの学生生活〜授業編:中間試験〜
11月になりました( ´ ▽ ` )ノ!
(この顔文字の意味は皆さんおわかりでしょう、更新が遅くなってしまってごめんなさい。)
学問の秋!食欲の秋!ということで、日々知識と体重を蓄積しています、佐久間です。
今月号も授業編と日常編に分けて、淡々と書いています。授業編は主に中間テストやらペーパーについて取り上げています。日常編は前回とは違い、ちょっと重たい内容を扱っています。サンクスギビングのお休みで友達のニューヨークの家にお邪魔したことやらムービーナイトやらランチディスカッションなどなど色々とのほほんとした話題もあるのですが、それは次号にまわし、Williamsで起こった人種差別の事件についてとりあげることにしました。
<授業編>
ではでは早速授業編です。中間試験/ペーパー、それと授業についても少し触れてみました。教授のコメントは原文のままでのせています。
○Math 103
○中間試験
普段の授業はのほほんと進むのに、中間試験は鬼畜でした。教授によって試験の形式は違いますが、この試験は記述式大問10問90分、115点満点でした。
個人的な感想としては、今までで受けた試験の中でもかなり悪い出来で、家族にも「おわたー。ぴぎゃー(^o^)/」なんてメールまで送っていたのですが、蓋を開けてみれば110点でした。決して日本の学校でありがちな嫌みな謙遜とかではないです。実際日本の学校の採点方式だったら50点がついたと思います。とにかく答えが間違ってても考え方があっていたら9割は点数をくれるという採点でした。計算間違いが多い佐久間にとってはとても嬉しい採点です。
○アメリカの数学教育の問題
しかしながら平均点は70点でした。どうもアメリカ人の学生は記述式の試験に慣れていないのかなあと思います。いかんせんSATなどの大学入試に必要な試験は選択問題形式ですので、そのトレーニングばかり積んでいるために言葉で説明するのが苦手なのかなあ、と。(実際今まで記述式の問題なんて解いたこともないと言っていた人もいます。)さらに授業も教授と生徒の双方向の関係が築けているのはいいのですが、教授の単発的な質問にいかに素早く答えるかに必死になってしまっていて、知識の統合ができていないのかな、と。つまり、解説を見ればどのステップも理解できているが、自分でゼロから問題を解くことができないという状態です。テストを受けたときにそのことに気がついて絶望し、解説を見て「この問題解けた…」と思い込んでまた絶望するよくあるアレですね。またまた、試験前にとりあえず量をこなせばいいやという考えからひたすら難しい問題に手を出していっているように見えました。その点、日本の大学受験で要求される記述式の試験は良いものだと思いますし、だからこそ日本人は数学ができるなんて言われるのかもしれません。
ただ、私のとっているMath103は結構数学が苦手な人が集まっている授業ですので、もっとレベルの高い授業をとっている人はまた違うと思いますし、「アメリカ数学教育の問題」なんて強引な一般化は限りなく黒に近いグレーゾーンです、てへ。
○HIS220/ CHIN210 Chinese Culture
中間は試験ではなく7ページの課題でした。課題は、それまでに授業で扱ったものと、中国の時事問題を関連させてなんでもいいから書けというものでした。私のペーパーのテーマは、中国の教育と試験の関連を、孔子の時代から現代にわたってまで、儒教道徳ベース?(科挙の導入)?知識ベース?(海外留学ブーム)?創造力ベースの3つに分けて書いてみました。
ではでは評価と先生のコメントをのせておきましょう。
評価 B+
A decent effort here. Your summary of these transitions between different stages in learning is interesting, and I like the way you break it into these different categories. At the same time, are these stages really separate? Confucius wouldn’t have completely separated morality and knowledge (as one had to know how to be moral, and much of that knowledge was located in texts). Likewise, the exam system did create a certain type of morality. 1) There was the notion that if one learned these texts one would embody their ideas and 2) the discipline to master all this knowledge was morally significant as well. Whether is worked out this way is a different question. One larger criticism is that there’s too much summary here. I would have liked to see more focus on your most original idea, namely the transition to a focus on creativity. Do you see any evidence of this happening? Or are there just complaints that it hasn’t happened. What would this new exam look like? The SAT may test a certain type of aptitude, but it certainly doesn’t test (or reward) creativity. So, this is a solid paper but there’s also room for more of your own creative thought here. Grade: B plus
…とのことです。50人分のペーパーにこれだけ細かいコメントをつけているなんてすごいですね。
内容は、「よく頑張りました。テーマはまあまあ面白いけど、自分の道を突き進んじゃって事実を無視しちゃいましたね。さらに言わせてもらうと、要約部分多くて君がどう考えたのかがよく見えないよ。まあ次頑張れや。ほい、B+。」みたいな感じです。成績の分布的にはちょうどクラスの真ん中でした。
○ペーパーを書くこと
教授のコメントももちろんとても役に立つのですが、ペーパーを書く段階で色々な人のアドバイスをもらったことは、そのペーパーだけでなく次のペーパーにも役に立ちます。今回のペーパーではWriting Workshop, Writing Partner, TA,姉にアドバイスをもらいながら書きました。
なんだかんだ姉からの、
@ 読み手を把握して、読み手が面白いと思うテーマを設定する。
A そのテーマを常に頭におきながら書く。
という一般化されたアドバイスが次のペーパーを書くときに一番役にたちました。何にでも言えることですが、一般化して頭の中にしまっておくことは後々いいことがあるものです。私も受験勉強の時には、どの教科でも個々の問題を解いた後で何か一般化できるコツみたいなものをメモするようにしていました。格言なんかもそういう個々の事象の一般化から生まれた類いのものなのかもしれません。
<HIS 220 授業>
やっぱり人数が多いので講義主体ですが、今回もこの教授、やってくれました。今回は教授とTAのコラボレーションによるプチ天安門事件再現でした。
その授業の前日にTAから「明日天安門事件の再現をするから、それぞれ準備しておくように。ターゲットは教授!だけど詳細はヒミツ!」というわけのわからないメールが来ていました。それに加えて、その日の授業では天安門事件に関するリーディングが事前に課されたのですが、なぜか一つだけ古代中国の兵法に関するリーディングがありました。なんだこれ、なんだあのメール、なんて思いながらもとりあえず読んで授業に臨みました。
○授業にて
授業の途中で先生が、
「ではこれから兵法のリーディングに関して課題を出します。来週までにこのリーディングの文章と私の解説を全て覚えてくること。来週からは全て暗唱テストとし、これは成績の90%を占めることにします。シラバスは変えます、hehe。」
と言いました。最初聞いたときは、これは私が英語を聞き間違えているんだ☆なんて思っていましたが、そんなことはありませんでした。TAのAdamがバンと机をたたいて、「そんなのは不公平だ!教授という権力をふりかざしやがって!」と言い始めました。するとポカーンとしていた学生たちが、ああこれが昨日のメールで言っていたことか、と気づき始め、わーわーととりあえず何かを言っていました。Chrisという学生は、文化大革命のときに資本家などが首から下げさせられたプレートみたいもののレプリカを予めダンボールで作って教授の首から下げたりまでしていました。ただ、私を含めほとんどの学生はオロオロあたふたするだけ。しかしこのオロオロあたふたを教授は味わってほしかったようです。文化大革命は中国の抗議運動の中でもかなり大規模なものですが、だいたいの学生はたじたじしつつ、何が起こっているのかもわからないまま、とりあえずわーわー言っていただけだった、ということを伝えたかったのだと思います。
○欠点
良いことばかり書くのもなんですからちょっとだけ不満を書くと、やっぱり人数が多いと短いリスポンスペーパーの扱いが適当です。初回のリスポンスペーパーは末尾にチェックだけでしたし、二回目のリスポンスペーパーは”some interesting points.”にチェックだけでした。もっとなんか書いてくれよと思いましたが、そういう人のためにオフィスアワーが設置されているので、なんだかんだ良くできた制度です。…あれ、批判になってないですね。
○Dance100
さてさて、danceの授業なんてとりやがっておぬしペーパーから逃げとるな、なんてお思いのかたもいらっしゃったかもしれませんが、そんなことはありません。ダンスの授業も5~6ページのペーパーを2回書かなくてはいけませんし、ペーパーの質問が漠然としていて何を書けばいいのかがよくわかりません。初回のペーパーの質問は「Ping ChongのモダンダンスとBalanchineのバレエを見て、授業/リーディングで習ったことをもとにペーパーを書け。」というもので、もうどうしたものかと思いました。とりあえず食材は与えてやったからあとは自由に料理をしたまえ、何料理でもかまわんがおいしいのを期待してるぜ、という感じの自由さ、適当さでした。
○Danceのペーパー
歴史のペーパーのときと違う点は、歴史が文献分析がもとなのに対して、ダンスの授業は視覚的な分析がもとになっているということだと思います。視覚分析なんてやったことあんまりないから書けないよう、なんてはじめは不安に思っていましたが、授業中のディスカッションで他の人がどのようなところに目を付けているのか、リーディングでどのようにダンスについて書けばいいのかということがわかるので、途方に暮れることはありませんでした。
私はdancer/audienceの両方に対して、2人のchoreographer(辞書を引いたら『振り付け師』と出たのですが、ちょっと違ったニュアンスな気がしなくもないです。)が全く違った方向の仕掛けをすることを通して、どのように共通のテーマであるphysical/metaphysicalの事象を取り扱っているのかということを書きました。姉からもらったアドバイス@Aに注意しながら書いたところ、なかなか良い評価がもらえました。
では教授からのやや短いアドバイスをどうぞ。
Paper grade: A
Comment: Your paper was a good comparison of the choreographic approach of used by Balanchine and Ping Chong. We do recommend that you attend the writing so that your sentence structure and use of vocabulary allows your ideas to be communicated more directly.
うむ、やっぱり歴史の先生と比べるとちょっとコメント少ない…しかも後半はwriting workshop行けよっていう提案だけだし…提出する前にwriting workshop行ってコメントももらったのに…ブツブツ。
と、いう私のような生意気な学生のために、教授はクラス全員にoffice hourを設けて、paperについて直に話し合いました。(歴史の授業のペーパーのoffice hourは任意です。)このとき言われたのは、とりあえずwordyだということです。テーマは良いからもっと簡潔に書いてくれや、ということでした。
クラスの大半がBかCをもらったとのことなので、英語のうまさよりもアイディアに評価をおく姿勢があるのかなあと思います。決して私自身のアイディアが評価されたのではなく、ペーパーに現れた私のアイディアが評価されたというところに注意してください。つまり、私自身が創造力にあふれている必要は(成績上は)必ずしもないのです。逆にどんな創造力があっても、それがペーパーに書けなければ(成績上は)意味がありません。
○生徒の意見の反映
ついでにこのoffice hourで授業についてなんでもいいから意見を言えと突然言われました。いきなり聞くなんてちょっと反則ですよ、なんて思いながらも、@先生だけの意見じゃなくて、授業中にもっとお互いにアドバイスを出す方がいいんじゃないか、初心者のダンサー同士だからこそのアドバイスも出せるんじゃないか、A先生たちってどんな準備体操してるんですか。授業中にいろんなこと習いましたけど、いろんなダンスで共通しているところ/違うところもありますし、それらを繋げるような準備体操できたらいいですよね。なんてことを適当に話しました。
するとすると。次の授業で早速Sandyという教授が「はい、今日の授業はペアになってお互いに意見を出しながら授業を進めていく形式にします。」と言って、授業の形態を全く変え、Bachierという音楽の先生は「はい、次の火曜日までに今まで習った準備体操を組み合わせて、一人30秒の準備体操を自分で選んだ3つのtime signatureの違う音楽にあわせてつくりあげることー。発表会するから頑張ってね。」という課題を出しました。
どちらの教授もそれを言った後にニヤリとしながら私の方を見ていました。ニヤリ返しました。
こうやって生徒の意見を即座に授業に反映しちゃうところがリベラルアーツだからこそできることなのかなあと思います。
○クラスグレード
ダンスの授業は授業中に実際ダンスもしますので、その成績も出されました。
では教授のコメントを。
Class grade: A-
Comment: Everyone agrees that you are doing very well in class! Please continue to work with the focus and enthusiasm that you bring to learning about dance.
*この授業は6人の教授から習うので、“everyone”という表記になっています*
始めはダンスなんてできるのかしらーなんて思ってましたが、いかんせん英語ができないから英語がいらないところで頑張るしかないと思って色々やっていたら、毎回の授業でのお手本4人に選ばれるまでになりました。必死になってみるものです。
○Art History
Paper grade A-
さてさて先月号にのせた信じがたいほど長い問題文のペーパーです。先生のアドバイスは実際のペーパーに鉛筆で色々と書かれていたので省略しました。ごめんなさい。実際字がちょっと達筆(?)すぎて読めなかったという事情もあったりします。
この教授のコメントも、なかなかアイディアはよかったから英語頑張れや、というものでした。
|









|
この記事の先頭へ戻る
◇ 2011年10月 ウィリアムズの学生生活〜日常編:アメリカと日本〜
この記事を折りたたむ
|
◇ 2011年10月 ウィリアムズの学生生活〜日常編:アメリカと日本〜
<日常編>
日常編では色々な経験のもと考えたことを書いていきます。ほんとに徒然なるままに書いたので、話が脱線しまくっていますが、これも顔文字のかわいらしさに免じてお許しください(*゚ー゚)v。
前半は、学生生活を送る中でアメリカについて思ったこと、最後の方はアメリカに来てみてから日本について思ったことについて書いています。
全体的に経験談形式です。
[アメリカ編]
○Ask
“Everybody is willing to help you... only if you ask them.”
・・・と、いうかっこいい言葉はもちろん私の言葉ではなくて、ARTHの先生の言葉です。
彼女がこの言葉を送ってくれたときは、助けやら協力を求めるという意味でのaskだったのですが、アメリカに来てから、1.質問をするask, 2. 助け・協力を求めるask, 3.日常面でのask の3つが大切、というかこれができなければどうしようもなくなることがわかりました。
1. 質問をするask
@ 授業に関する質問
“If you come up with a question during the class, there are at least two students who have the same question. Don’t hesitate to ask.”
と、いう言葉も私のではなく、数学の先生の言葉です。
数学に限らず、授業中に質問をすることは自分だけではなく他の人の理解も助けになりますし、教授としても学生がどのようなところにひっかかっているのかがわかりやすいので、授業中質問をすることは奨励されます。と、いうか質問をしないといない人間とかわりません。私はある日の数学の授業でなにも言わずに授業を受けていたら、授業の最後に中間テストが返されたときに、”Miho?今日いたかしら?”と教授に言われ、(12人くらいのクラスです。)ああ、質問しないとこうなるのかと思いました。
また、質問をしようと思って授業に臨むと授業に対して自然と集中することができるので、やはり質問は大事ですね。
2. 助けを求めるask
冒頭のARTHの教授のおっしゃった通り、リベラルアーツの学校はものすごく制度がしっかりしています。いくつかご紹介します。
@Writing Workshop
Writing workshopは学内に3箇所設けられていて、トレーニングを受けた学生がペーパーの相談やら添削をやってくれます。さらに、私のようにペーパーを書くことに慣れていない人は、Writing Partnerといういつでもどこでも相談に乗ってくれる個別のパートナーをつけることができます。私は基本writing partnerに見てもらっていますが、内容面に関しては、教授やTAに見てもらっています。
A Study Skill Session
これは二人の学生が、週1回のペースで勉強のストラテジー面(Time management, Note taking, Writing, etc.)を30分程度プレゼンテーションをするものです。学生だからこそ、どのようなところに他の人がつまづくのかもわかりますし、現実的なアドバイスをくれます。
B Tutor
どの授業でも、チューター(たいていはその授業を過去にとったことがある学生)をつけることができます。1on1で話すので、自分がどれだけ理解できているのかがわかります。(人に話してみると、わかったつもりになっていたことが実は全くわかっていなかったなんてことがわかるっていうあれですね。)
C オフィスアワー
これ有名ですよね。TOEFLのリスニングセクションとかでもなぜか必ず出てくる、悩める学生と、時に優しく時に厳しく、建設的な意見を出す教授というシチュエーション。まああんな感じです。
強いていうなら、人文科学系の教授のオフィスアワーにはたいていペーパーの相談をしにいくことが多いと思うので教授とふたりきりですが、数学のオフィスアワーの場合は、その時間にきた学生みんな一緒になってあれやこれや話し合ったりします。
他にもAcademic Resource Center, Math and Science Resource Centerその他諸々がありまして、非常にサポート体制は充実していますし、これらのサポートは全てタダで受けられます。(学生のアルバイト料金は学校が出します。)
が、始めのARTHの教授のお言葉通り、自分から助けを求めないと、何もかわりません。主体的に関われば関わるほど、得られるサービスも増えます。
3. 友達にask
タイトル適当ですね。まあ要するに、日常会話で相手について色々尋ねることの大切さです。
私は始めのうちは、英語が話せないから黙ってることしかできないと思っていたのですが、路線を変更しました。
とりあえず質問をして、あとは笑顔で聞き手にまわろう、と。
みんな話すのが好きなので、私が一つ質問をするだけであれやこれやと教えてくれます。(時々”How about you?”なんて聞き返されるので気が抜けませんが。)
相手のことを知っていくのはとても面白いことですし、相手としてもこいつは自分に興味を持ってくれているのか、と思ってくれる(と嬉しいのですが)ので、日常面でも質問って大事です。
○失敗を活かすこと
失敗は成功の糧
と、いう言葉も私の・・・(略)、私の小学校のときの先生の口癖です。
失敗を失敗としてとらえていると、失敗すること嫌になりますよね。少なくとも私は嫌です。私の場合、失敗を成功の糧として捉えてみると、失敗してもこれを絶対活かしてやるって気分になるので、そういう風に考えるようにしています。
アメリカ来てから、やっぱり失敗することも結構多いのですが、それがいろんな形で次の成功に繋がったりしました。2つほど、私の経験をご紹介しようと思います。
1. わかってるのに・・・
失敗1 “It is the opposite.”
これは歴史の教授が、授業中に私を当てられたときの私の答えに対して、さらりとおっしゃった言葉です。
中国史の授業はあらかじめdiscussionでの話題が出されて、先生が授業中にアトランダムに指名したり、学生が手を挙げたりするなかで進みます。
ある日、私はそろそろ自分もあたるんじゃないかと思って、かなり事前から授業の準備を始めていました。そのために授業の時には前の方に読んでいた文献の内容がうろ覚えになっていました。ありがちです。そのために、いきなり前の方の文献について尋ねられたときにびっくりしてしまって、間違えて後の方の文献に書かれていたことをぺらぺらと話し始めてしまいました。その結果”It’s the opposite. Did you read the text?”と言われてしまう始末でした。落ち込んでしまって、もはや授業に集中できず、授業の後半のopen discussionでせっかく用意していたことを言うこともできず、黙っていました。悪循環ですね。
失敗2 “ニヤニヤ”
擬態語です。数学のオフィスアワーのときに、Mpaza(パザと読みます)という少年が私に向けた表情を表してみました。
前述したように、数学のオフィスアワーはその時間帯に来た人皆で同時に話し合います。その時のオフィスアワーには、先生、John, Mpaza,そして私がいました。(先生とJohnが白人、Mpazaが黒人、私が黄色人種ということで、三色人種コンプリート☆なんてわけのわからないことを考えていました。)
そこで皆で一つの問題について考えていたのです。何の質問かは覚えていないのですが、ものすごく簡単な質問を先生がしたのです。なんだめっちゃ簡単じゃんと思って答えようとしたときに、なぜか「割る」という言葉の英語が出てこなかったんですよね。いや、普通にdivideだろって今なら言えるのですが、そのときはなぜか”subtract”が出てきてしまって、頭の中でsubtractの行進なんかもはじまって、divideが全く出てこなかったんです。
そんな感じでもごもごとしていたら、Mpazaが”It’s so easy… DIVIDE BY 3! ”と元気よくニヤニヤしながら言いました。そして「ニヤニヤ」の光線を送り続けるMpaza。その後のオフィスアワーではずっとMpazaのニヤニヤ攻撃を左頬に受け続けました。わかってるのに、英語で表現できないとわかってないと判断されるんだなあ、ああ、ニヤニヤしやがってちくしょう、なんてしょんぼりしてました。
これら二つの失敗をもとに、「読んでるだけ、わかってるだけではだめで、それを実際の授業で正しく英語で発信することが必要なんだな」と思いました。
3.糧 “Great job, Han Fei Zi”
さてさて、そんな二つの失敗から教訓を受けた佐久間は、この失敗を活かす機会はないか、と虎視眈々とそのときを待っていました。
ある日の(というか前述した)HISの授業のディスカッション。(授業編に詳細があります。こうやってどっちも読ませようとするなんて姑息ですね。)私はHan FeiZi(韓非)の班になりました。韓非子に関しては、その前のリーディングの課題で”Two Handles”という文献を読んでいたので、それを基に話し合うことになります。Two Handlsには@為政者は賞と罰を与える権利のどちらも持たなくてはならない。A人民は各々の名前に見合った行動を過不足なくとらなくてはいけない。という2つのことが書いてありました。
グループでのディスカッション(7人でした)が始まったときに、とりあえず我先にと皆が話し始めるので、とりあえず黙って聞いて、どっかで自分の意見をすべりこませようと思っていました。皆が言いたいことを言っているのを聞いていると、@の罰とAの名前にみあった行動に関してはカバーできているのですが、@の賞についての議論がされてないなあということに気がつきました。「わかってるだけじゃだめなんだ、言わなくちゃ」と思って、えいやと思ってAの賞を与える権利について議論がなされていないこと、賞についてこの事例だったらどうやって応用できるのかについて話してみました。何回噛むんだこいつ、てくらいカミカミでしたけど、皆必死に聞いてくれて、それを基にまた議論を続けてくれました。結果、最後の各班の発表のときに、先生からは”Great job, Han Fei Zi. You guys covered three important points of his thoughts.”とおっしゃっていただけました。
失敗は成功の糧
です。
2. 的外れな質問
DANCEの授業で、Ping Chongの劇団員の方が公演の前にお話に来たときに、皆で円になって色々と質問をしました。なんとなく会話が途切れたので、質問すること大事って誰かが言ってた!と思って、
えいやー
っと、あまり深く考えずに質問したところ、もともとの質問自体が良くなかった上に、英語でうまく表現できず、私自身わけのわからない質問になりました。場は凍りつき、先生の顔の微笑は苦笑にかわりました。劇団員の方が”Part of the answer to that question might be…” といって、話を続けてくれました。(要するに君の質問よくわからないよ、ということですね。)そのときの皆の「あっちゃー、あの子やっちまったー」という雰囲気が本当にしみて、もう質問なんてしないやい、と思ったのを覚えています。
しかしなんだかんだで、良い質問ってどんなのができたのかなあなんて考えながら、その晩の演劇を見ました。
次の日に朝ご飯。紅茶でもおかわりするかー(ほんとはおかわりはだめですけどね、気にしません。)なんて思いながら食堂を歩いている(ちなみにWilliamsはメインの食堂が3つあって、どれもものすごくおいしいです。おかげさまで太りました。しかしかなり良いジムもあります。おかげさまで痩せました。)と、なんと前日質問に優しく答えてくれた劇団員の人が近くで食べているではありませんか。これは昨日演劇の間に抱いた質問をするチャンスではないか、と思ったのですが、いかんせん前日の失敗のせいでなかなか勇気がでません。
すると劇団員の人が、「ああ、やってしまった子じゃないか」という感じですぐに気がついてくれ、「君のことは覚えているよ。たくさん質問を受けたけど、君のはある意味一番印象的だったからね、ハハ。ところで昨日の演劇どうだった?」と話しかけてくれました。もう君にはどんだけ変な質問をされても驚かないよ、という雰囲気だったので、失うものは何もないと思って質問をしたところ、「君…それはまさしくPing Chongが望んでいる視点だと思うよ。」なんて言ってくださって、ついでに色々と舞台裏なんかも教えてくださいました。
<脱線−東大の成績発表と愚痴>
○夏学期成績発表
さて、脱線して、東大の話でもします。東大の夏学期の成績は10月3日に発表されます。文系は7月に試験が終わるのになぜ、とお思いかもしれませんが、試験は全員共通の英語1以外はすべて記述式なので、採点にかなりの時間がかかるということがあるのだと思います。正直知りません。
私もドキドキしながら日本時間の10月3日の夜中0時にアクセスして、(実際の発表は朝の10時でちくしょうなんて思いながらも、)成績を見ました。
成績は優・良・可・不可、主題科目は合格不合格で出ます。確か優3割規定なんていうのもあった気がしますが、もはやあまり覚えていません。受験期とは違い、周りがすべて東大生という環境下です,haha.
私は可もなく不可もなく、とりあえず80点をとれていたので、まあこんなもんか、と思っていたのですが、成績表の下の方を見ると「不合格」の文字があるではありませんか。
○学術俯瞰講義 そして愚痴
なんと主題科目が不合格でした。
(少し東大批判的なことを書きますが、これはあくまで主題科目で不合格をとった人間の負け惜しみだと思って、嘲笑しながら読んでください。)
以前東大の授業について紹介させていただいた時に、まあ別にいいやと思って省いた科目に主題科目というのがあります。
主題科目のうちにも、全学自由研究ゼミナールとか色々とあったのですが、忘れました。詳しく正しい説明は東大のHPにお任せします。
私は主題科目のうち、学術俯瞰講義というものをとりました。この授業は一つのテーマに沿ってたくさんの教授が授業を展開するオムニバス形式の授業です。履修する人が多いために、メインの会場だけでなく、別会場で生中継をしながら流します。この授業には試験がなく、学生証を毎回スワイプして、A5くらいの用紙にその日の感想やら何やらちょいちょいっと書いて提出すれば(寝ていてもジャンプ読んでいても内職していても(ノンフィクション))合格が出ます。
私は、学生VISAをとるために一回、七帝戦(部活の試合)に出るために一回、寝坊が一回、授業に「聞いていない授業に出るのは意味がない。」と思って、ツベルクリンの注射を受けにいった結果欠席扱い一回で、休んだ結果不合格になりました。不合格になった原因は明らか(出席重視の授業に出席しなかった)ですし、やっぱり授業中に注射なんて受けにいっちゃだめですよね。
いやしかし、そもそも学生証のスワイプしかしないというところで、生徒を番号として処理してるんだなあなんて思ったり、事前に七帝戦に出るための公欠をお願いしたときにシステム上そんなものはないとさらりといわれ、頭かたいぜ、と思いました。
まあ不合格をもらった人間の負け惜しみです。
いやしかし、東大の制度には疑問を持つところがなくもないのですが、東大の先生、そして友達はすばらしい人ばかりでした。ヨイショじゃないですよ。
閑話休題
<言葉で説明すること>
“We need a good writer.”
Sandraというdanceの教授のお言葉です。
日常生活で起こることって一瞬のうちに過ぎ去っちゃうじゃないですか。でも、その事象を言葉で的確に残すことができたら、時間と場所を超えて、たくさんの人と共有できるってちょっとすごいですよね。
別に学問に限らず、私はこういう言葉のすばらしさみたいなものを日常生活でいつも感じます。
@ カレーの味
卑近な例を一つ。
東大のときのクラスの女子で、(37人のクラス中6人しか女子はいませんでした。)女子会なるもの(要するに女子だけでご飯を食べにいく会)をビュッフエ形式のところで開いたときに
カレー
が、あったんです。立て札がなかったので、何カレーかはわからなかったのですが、まあ普通のビーフカレーでしょう、なんて思ってとりました。
これがまた、レトルトの味になれている私にはおいしいおいしい。なーんかビーフじゃない気がするけれど、レトルトと本物のビーフは違うからかな、なんて考えてました。
すると、一人の子が、
「これシーフードカレーだね。」
と言ったんです・・・。衝撃でした。そうか、これはただレトルトビーフとおいしいビーフの違いじゃなくて、もっと根本的なものであったか、と。
でもシーフードとして意識して食べると全然味が違って。もの自体は全然変わってないのに、言葉を介しただけで、全然受け取り方ってかわるんだ、言葉ってすごいなあなんて思いました。
Aまとめ
今年の夏に先輩に言葉で的確にものを表すことの感動話をしたところ、「言い得て妙ってやつね。」とさらりと言われました。私のわけのわからない話を「言い得て妙」という概念でまとめあげた先輩の力量。先輩のその言葉こそ言い得て妙です、なんて思いました。
言い得て妙なこと、つまり事象を的確簡潔に表現する練習を、多角的な面や方法から今自分はしているのだと思います。
さてさて、最後にまじめに今までの生活全般の話をしようと思います。
○環境に飛びこめ
”Strikingly optimistic people with enormous ambition”
私の友達がとある経済投資クラブの学生たちを形容した言葉です。
私日本人って頭いいと思うんですよ。ただ総じて、彼が言うようなあふれんばかりの野望と楽観思考に欠けている気がします。行動になかなか起こさないというか。頭がいいからこそ先を心配してしまうのかもしれません。
留学したいけど、勇気が出ないなと言う人がいますが、勇気なんかださなくていいんですよ。ある程度の英語力つけてからーとか考えずに、とりあえず、淡々と留学するのに必要な英語力だけつけて(=toeflとかSATで最低限の点数出して、)とりあえずアメリカ来ちゃってみる、っていうのもいいと思います。私自身そうでしたし、それでよかったと思っています。
私自身思うのは、できない分だけ伸びしろもあるということです。私にとっては、ただの日常会話でさえ勉強になりますし、知らないことが多い分だけ一つのことから学ぶこともたくさんあります。
「英語できないくらい言えるだろ」
私が最も影響を受けた人の一人である姉の言葉です。私がアメリカに来て、何もできず姉にひたすら電話をかけたとき、周りの人に相談するようにアドバイスを受けました。そのときに、そんなことできないよ、と言ったところ、
「英語できないんです。どうすればいいですか、くらい言えるだろ。」
の一言。
・・・・言える。
って思いました笑 その時に気づいたのは、私を縛っていたのは私の英語力なんじゃなくて、私の英語ができないと思ってる思考なんだな、と。実際教授とかに会いにいってみても、一言話すことさえできれば、意外とペラペラ話している自分がいて、教授にお前英語話せるじゃねえか、とつっこまれたくらいでした。
○Necessity is the mother of invention.
格言です。
私は小中高日本の教育で育ってきたので、英語は科目としてやってきましたし、受験が終わってからは、大学の授業でちょいちょいやっていました。
そんなわけで、留学した直後は、「うわー、こいつら英語喋っとるー!笑」という、わけのわからないことに一人でツボっていました。
当たり前じゃん、っていう。
でも英語しか周りとコミュニケーションをとることができないので、やっぱり必要に迫られると吸収も速くなりますし、日本の英語の授業では絶対出ない難しい文献を膨大な量読むということも、「できて当然」という環境下にあるので、できないことなんか考えずに毎回仕上げます。少人数であるだけに、落ちこぼれられないんですよね。
○終わりに
今回の記事ではひたすら人の言葉を引用しました。
このことからもわかると思うのですが、私が学んだと思えることって、人との関わりの中でのことが多いです。今までもこれからも、人とのつながりを大事にしたいなあと最近ひしひしと感じています。
Williamsでやっていることが日本でできたら、間違いなく日本はかわると確信しています。しかし、Williamsでやっていることがそのまま日本でできないことも、残念ながら、間違いなく確信しています。私はWilliamsに来て、もちろんつらいこともありましたし、日本に帰りたいなあ、なんて思ったこともあります。ただ、留学を後悔したことはありません。
記事だけでは伝えきれない良さ悪さがたくさんあるので、もっともっとたくさんの日本人に実際に出て体験していただきたいと思います。できれば長期で。・・・まあ2ヶ月しかアメリカにいない私が言うのも変な話なのですが笑
ではでは。ものすごく冗長になってしまいました。
11月号はThanks Givingについて、Readingをすることについて書く予定ですので、11月下旬の更新になると思います。これだけ長い文章を読んでいただき、本当にありがとうございました。
追記:以前紹介させていただいた、Agos卒業生で現在イエール大学に通う田口君が中心となってつくりあげた留学情報サイト"Go Study Abroad!"に大学留学に関しての多くの有益な情報があります。[私もエッセイ体験談集のところに体験談をのせています。(とちゃっかり自分の宣伝をします。姑息ですね!)]
是非ご覧になってください。
|













|
この記事の先頭へ戻る
◇ 2011年10月 ウィリアムズの学生生活〜授業編:教科書は原書とCoursePacket〜
この記事を折りたたむ
|
◇ 2011年10月 ウィリアムズの学生生活〜授業編:教科書は原書とCoursePacket〜
10月になりました( ´ ▽ ` )ノ!
・・・って顔文字使ってかわいこぶってもちょっと苦しいですよね。
すでに11月になろうとしていることはわかっています。顔文字のかわいらしさに免じて許してください、佐久間です。
9月号のときは、ネタも切れるだろうし、小出しにしとこう…と書いてしまったのですが、杞憂でした!毎日発見ばかりです。Deanの方に、毎日思ったことを書き留めなさい、というアドバイスを受けましたので、まじめに毎日ちょいちょい思ったことを書いていたのを色々とお伝えしようとしたところ、非常に長くなってしまいました。(前回の五倍です。)
と、いうわけで今月号は9月号で予告していた授業編と徒然なるままに書いた日常編の2部構成です!
<授業編>
さてさて、授業編です。真面目に紹介していきますね。
(全般)教科書は原書とCourse Packet
どの授業でも重すぎて教室に持っていけません(そして実際持っていきません。)というくらいの教科書があります。(人文科学と社会科学の教科書は原書です。私が持っている教科書で一番長いのは1200ページ(Owen)のものです。)
それに加えて特徴的なのは、教授がその授業にあわせてCourse Packetを用意していることです。Course Packetとは、様々な文献から授業に関係ある部分のみをコピーして一冊の教科書に教授がしたものです。(著作権は大丈夫なのだろうかなんて思いますが、多分大丈夫なのでしょう。知りません。)
全体的には少人数Discussion形式ですが、クラスによって形態は全く違うので、
これから私がとっている4つのクラスについて個別に紹介していきたいと思います。
Math 103 Calculus MWF 9:00~9:50
<概要>
この授業は微分を主に扱う授業です。日本の大学を受験するときに微分は習ったのですが、受験後に学問としての数学に全く触れていなかったことと、数学を英語で勉強したことがほぼなかったので、(SATのmathのために必要な分の数学単語を覚えて、受験後にすぱっと忘れました。)基礎からやろうと思ってとりました。(地味にdivision3(自然科学)を満たすためにとったというのもあったりします。二年生の終わりまでに最低2つは自然科学の授業をとらなくてはいけません。)クラスはlecture形式ですが、人数が15人程度で先生の質問に生徒が自主的に答えていくことで授業が進みます。ちなみに指名されることはまずありません。
<数学は世界共通?>
数学は世界共通言語だなんてよく言われますが、共通の記号を使っていても表し方の違いがあります。例えば初回の授業で、x=[4,8] とか(∞,8) という記号が出てきて、恥ずかしながら何のことやらよくわかりませんでした。(ちなみに前者は4≦x≦8 , 後者はx<8 のことです。)同じことを表していても、違う表し方をされるとわからないものです。
また、よく知られていることですが、分数の読み方も日本とは逆です。たとえば、3/4は、日本語では「4分の3」ですが、英語では”3over4”です。
そっちかーい…って始めは思いましたし、今でもなかなか慣れません。特に書くときは、分母から書くことに慣れてしまっています。
(余談ですが、HISの授業でMalcom Gladwellの中国の農業と数学に関する論文を読んだときに、この分数の読み方の違いについて色々と書いてありました。なかなかつっこみどころ満載の論文ですが、全然関係のない分野がこんな風に繋がったりして興味深いです。)
<質問>
このクラスの面白いところは、生徒が数学の根幹部分の質問をするところです。微分でも、「なんで突然放物線の傾きなんて求めなくちゃいけないんですか。」なんていう、適当にはいくらでも答えられるがまじめに答えると時間がかかるぞ的な質問を繰り出します。先生がさばくのもうまいので聞いていて楽しいです。また、生徒が生徒の答えに対して質問したりします。私が先生の質問に答えたときも、「なんでそういう答えになったのか説明して。」と突然聞かれて、やめてーと思いながら適当に答えました。
<課題>
先生の提供する課題がなかなかおもしろいです。数学の授業なのに毎回reading課題が出ますし(数学の定義などのパートと、数学の歴史的な側面のパートがあります。)、毎回の宿題に加えて、金曜の授業の後に出されるQuizの第二問はconcept questionという、なぜその定義が正しいのか、とか、この定義の逆が成り立たないことを証明せよ、ということを問う問題が出ます。これがなかなか良問で、きちんと定義をわかっていないと解けないようになっています。
<課題文献>
さらにさらに数学に関する記事なんかも渡されます。この前の授業で渡された、”What is mathematics for?”というA4、3ページくらいの記事がなかなかおもしろかったです。(数学なんて仕事と関係ないからやっても意味ないじゃないという思考に疑問を投げかける論文でした。仕事に役立たない→やる意味がない、と考えるよりも、単に数学が楽しいからやる方がステキじゃありませんか。という内容でした。いいこというなァ。)
<カリキュラムの違い>
カリキュラムの組み立ても日本とは違うので、今までとは違った角度で微分をとらえることができて新鮮です。例えば、日本で微分を習ったときには、関数の連続性についてはあまり触れませんでしたが、アメリカでは微分を扱う前に、合成関数の連続性の証明まで済ませてから、微分の授業に入ります。微分を習ったことがある人は積分やら二変数関数の微分の授業から始めなければいけないのですが、こういうカリキュラムの違いを踏まえると、この授業にしてよかったかなと思います。
HIS 220 Cultures of China: Conflicts and Continuities
<概要>
この授業はもうとにかくよくここまで教授が準備したなあと思うくらいうまく構成された授業です。Origins, Language, Learning, the Natural World, Youth, Order and Control, Protest, Reclusion, “War, Violence and Disorder”, “Passion, Negotiation, and Heartbreak”, The Cultures of Romance, Commerce, etcという風に多角的な視点から、様々な文献を読みつつ、古代から現代までの中国について学びます。
<課題図書>
この授業で特徴的だと思うのは、Primary resources、つまり原典を読むことです。例えば、初回の授業のreading assignmentは、
“Heavenly Questions” (CP, Hawkes, 122-151) “She Bore the Folk” (Owen, 12-15) “Shiji 6: The Basic Annals of the First Emperor of the Qin” (CP, Sima [Qin], 35-83) “Legends of Confucius” (Mair, 234-241) “Shiji 8: the Basic Annals of the Emperor Gaozu” and “Shiji 16: Reflections on the Rise of Emperor Gaozu” (CP, Sima [Han], 51-88) “The Curly-Bearded Hero” (CP, Minford, 1057-1064) “The Divine Announcement” (CP, Lu, 1-4) [CPはCourse Packetです。]
という感じでしたが、この時は特に原典が多かったので、正直退屈だなあなんて思いながら読み進めました。(仕舞には原典をググって日本語訳を読んでから英語に目を通したりしました。秘密ですよ、ニヤリ。)
<原典を英訳で読むこと>
正直言って、原典を英語で読むのって微妙だと思います。例えば、原典では「如何。」と書かれていても、英語訳では”What’s this!?”となっていました。いや、What’s this!?ではないだろう。少なくとも「!?」はおかしかろう、違うだろう、なんて思ったのを覚えています。
そうであっても、解説を読んで考えるよりも、原典を読んでいろいろと考えることは、分析力を高める上で必要なことだと思います。
<授業形態>
授業は講義半分、discussion半分で進みます。教授は毎回のdiscussionに備えて問題をメールであらかじめ送ったりします。
Learningの授業のdiscussionの問題からいくつか例を挙げたいと思います。
1What kinds of different approaches to learning in general do you find in the texts we’re reading for today? What similarities are there between different modes of learning?
2What do you think of the Thousand Character Classic, the Meng Ch’iu, and the Three Character Classic as educational tools? What sorts of knowledge do they convey? What types of educational structure might they require to be used effectively (keep in mind that they are intended for young children)? What types of educational values to they seem to embody?
3How is Wang Wei’s “Stopping by the Temple of Incense Massed” about learning? How does it conceptualize knowledge?
4What is the value of the “child mind” according to Li Zhi and Yuan Hongdao? How do you see these pieces fitting in with other models of learning we’ve seen? What similarities are there between these ideas and those of Zhuangzi?
5What similarities do you see in the basic approach to “learning,” if we may call it that, in the pieces by Li Zhi, Yuan Hongdao, and Zuqin?
こんなのを授業中にぽいっと聞かれます。正直言って、
知らんがなー・・・
なんて思いますが頑張って答えます。
失敗してしまっても、次挽回すればいいやという気合いでいけばいいと思います。(Discussionでの私の失敗については日常編に詳しく書いてあります。)
<ビデオ鑑賞>
また、たまにビデオ鑑賞もします。今まで”Hero”, ”In the heat of the sun”, “Blind Shaft”, それと“The Gate of Heavenly Peace”を見ました。(どれも授業外に時間をとって見ます。)登場人物が中国語で話している下の英語字幕を読みながら日本語で理解するというわけのわからないことをやっています。
映画を楽しんで見ていたら、”What did memory play role in “In the heat of the sun?”とまたまた、ぽいっと質問を出されるので、気が抜けません。もし、In the heat of sunを見た方がいらっしゃったらお分かりかと思いますが、教授の出す問題は表面的には現れていないものから出されます。ですが、自分で考えることは印象に残りやすいですし、その後で教授の説明を受けると、どういう風な視点で映像分析をすればいいのかということがわかります。
<Discussion>
結構大きなクラス(50人くらい)なのですが、少人数でのdiscussionをしよう教授の努力が垣間見れます。要するにグループ分けをしてその中でDiscussionをした上で、全体でDiscussionをするという感じです。
この前あった面白いdiscussionは、1989年の六四天安門事件のときに政府がどのように対応すべきであったか、ということを、孔子・孟子・荀子・韓非子・毛沢東の著作を基に、彼らならどうしたかということを班に分かれて話し合え、というものでした。画面に天安門広場に集まった民衆の写真が出されて、「大変だ!私はどうすればいいんだ、さあ孔子教えてくれ!あなたは何もかもご存知なんでしょう!」とか「さあ孟子教えてくれ。孔子とお前が違うことを証明してくれ。」なんてノリノリで先生が各班に質問を繰り出します。生徒も「ワタクシ孔子が思いますに・・・」とまたノリノリなのでDiscussionは楽しいです。これについても詳しくは日常編に。
<Writing>
短いResponse Paper (A4,2ページ)2つとLong paper(A4, 6~7ページ)の二つがでます。今のところResponse Paperと長いPaperを一つずつ提出したのですが、まだ返ってきていないので、これについてはまた次号でご紹介します。
<まとめ>
教授が出す問題は、どの問題も、単にテキストの抜粋とか映像で表面に現れていることではなくて、そこから自分で考えなければいけない類いのものであるという共通項があると思います。
ARTH 103 Asian Art Survey TTH 9:55~11:10
<概要>
この授業では、インド、中国、日本の芸術を比較しつつ学びます。今のところインドが終わって、中国に入ったところです。知識を得てから美術品を見ると全く違った視点をもてて楽しいです。
今まで美術館にいっても、「似たような仏様の像がたくさんあるなあ。・・・てか美術館ってなんか疲れるよな。」くらいにしか思いませんでしたが、今なら「urna(眉の間にあるでっぱり。これって髪の毛だったんですよ。)、ushinisha(頭のてっぺんにある出っ張り。元はターバンをひっかけるためにあったらしいですが、今では仏陀の知恵を表しているらしいですよ。)、そして耳たぶがのびているところ(仏陀は悟りを得る前には王子だったので、イヤリングをつけていたらしく、耳たぶがのびてしまったらしいです。)がiconographic traitsで、mudra(手の形)を見ることでこの仏陀がどんなメッセージを・・・(ブツブツ)」みたいなことができちゃいます。ちょっと気持ち悪いですね。(間違っていたらごめんなさい、かっこわるいですね。)
<課題>
この前出た課題は問題文がまるまるA4、3ページ以上で、二つの仏像の比較をせよという問題でした。その長過ぎる問題をのせましょう(ちなみにこれでも抜粋です)。
Read the following instructions carefully.
Two Buddhist images are on view in the Faison Gallery at the Williams College Museum of Art (1st floor). The first one is the head of the Buddha in grayish blue schist from the ancient Gandhara region of India, datable from the 2nd-3rd century. The second is a seated Buddha *Vairocana in gilt bronze made in China during the 14th century. Compare and contrast these two images. This is not a research paper; what you have learned about Buddhism and Buddhist art from class thus far should be sufficient as a basis for your analysis.
First, look at the artworks carefully, and then generate ideas by asking these questions of each of the images:
-Who does the image represent? What are the identifying marks (iconographic traits)?
-How effective is the artist in suggesting volume and qualities of the human form and its details (facial features, hair, and so forth)? How effective is the Chinese artist in suggesting the volume and movement of the drapery? Do the media dictate or affect the final artistic forms of the images and in what ways? Consider the lost-wax technique, which might have been used to cast the Chinese image, in contrast to the stone-carving technique used to create the Gandhara image.
-What is the ideal that the Chinese Buddha Vairocana represents? Is the artist successful in conveying the ideal and how? Without a body, does the Gandharan Buddha head still convey to you some Buddhist ideals and why?
-Take into consideration the images’ sizes and forms, and speculate on their original physical contexts. What purpose did the works once serve? To teach, to fulfill a service, to delight the eye, to express a feeling, to convey certain ideals, and to illustrate a story, etc. These are not mutually exclusive.
-What purposes do the Buddhist images serve now? Do their current physical location (in the museum), the way they are displayed (in a glass case), and its new functions and audience affect your appreciation of the images and the ideals the images represent, and in what ways?
うわ、問題長いと思うかもしれませんが、これだけ書いてくれていると、教授がアウトラインをくれているようなものなので助かります。逆にHISの授業で出た、「授業中に扱った範囲と現代の中国の問題を関連させてレポートを書いてね。7ページは書かないとだめだよ。」というのはもうどうしようもないです。TA,Writing Workshop,そして何よりもたよりになる二人の姉、そして母にメールをしまくってなんとかなりました、いや、なんとかしました。
<まとめ>
上のような問題も出ますが、基本は美術品の画像を見て、@名前A時期B図像的特徴C芸術的要素D美術史的文脈の5つを覚えまくる感じです。が、中間試験には「ヒンズー教について、授業中に扱った画像を最低4枚は用いて、論ぜよ。」というエッセイが出たりしました。やはりwritingは重視されるようです。
DANCE 100 Foundation of Dance TF 1:10~3:50
前回紹介したETA(Exploring the Arts)でStepやらIrish Danceをやったときに、お前ダンスの才能があるんじゃないか、この授業をとりたまへ、と先生に言われたのでとってみました。(単に人数が足りなかっただけなんじゃないかと思います。)この授業ではモダンダンス、アフリカンダンス、ピラティス、バレエ、アイリッシュダンスの基礎を習ったり(実際にスタジオでやります。スタジオが壁二面が全面鏡、もう二面がガラス張りで、ものすごくきれいです。)、それにまつわる文献を読んだり、ビデオを見たりした後にディスカッションをします。1回の授業が2時間40分もあります。
Williamsでは毎週の金曜の夜にプロの演劇団がやってきて、演劇を行うのですが、(学生は3ドル)、Danceの授業をとっているとその演劇がタダになったり、その演劇を見る前に劇団員の人とお話をすることもあります。この前はニューヨークバレエ劇団の方たちに来ていただいて感動しました。
もちろんWritingのassignmentもあって、中間として出たのは”Ping Chong(モダンダンス)とBalanchine(バレエ)の芸術作品の違い、その歴史的文脈について書け”という7ページの論文が出ました。社会科学系の論文とは、書き方、使う単語が違いますので、勉強になります。
PE (Physical Education) Intermediate Tennis TTH 11:20~12:35
各学期ごと2タームあって、卒業までに4ターム分の単位が必要です。
特徴としては、とにかく種類が豊富なところです。普通の日本である体育に加えて、スカッシュとかヨガとかクルーとかハイキングとかカヌーとか、もうとにかく豊富です。そして施設が良すぎます。体育館は競技ごとにどかーんどかーんとありますし、アイススケートのリンクとか、3階建てのジムとか、わけがわかりません。
<Intermediate Tennis> 1st quarter
授業の都合上、バドミントンからテニスに途中でかえたので、このクラスに入ったときはアウェイ感が半端なかったです。「なんだこのアジア人は」、「いつの間にきたんだ」、「入ってくんな奇数になるだろ」、みたいなまなざしを向けられて、あわわわと思いました。
しかしテニスをしていく中でどうも認めてくれたらしく、今や授業の最後の試合では、”Hey Miho! You can do it! Beat him!” “See?Your backhand is your weapon, use it!!”と応援してくれたり、テニスについて色々話したりしています。もはや道で会うとハイタッチしたりする仲です。人って不思議なものです。
○アメリカンテニス
日本にいるときは、結構試合のときはひよってしまって、ボールをコートにいれなきゃとか思ってましたが、今はその不安から取り除かれ、ばっこばっこ打ってます。アメリカ人っておもしろくて、多少出ちゃっても気にしないぜ!見たいな感じでお互いテニスをするので個人的にはとても楽しいですね。
○球拾いの自由
ほんとに些細なところにもアメリカの自由の精神を感じます。些細なところ、そう、球拾いです。私は小学校のときに女子スポーツクラブ(バトン回しからしっぽとりまで)、中学でバスケとハンド、高校大学でテニス部に所属したのですが、なんかどこでも、ボール拾い(しっぽとりの場合はしっぽ拾い)は皆でやるべきものだ!みたいな雰囲気がありました。ここではボール拾いでさえ、やりたい人がやってます。そしてボール拾いをしている人は、ボール拾いをせずに喋ったり部屋に帰ったりする人について、別にイライラしたりしません。拾いたくないやつは拾わなきゃいいんだよ、っていう。「下級生がボール拾えよ。」という暗黙の了解がなりたっていた環境で私は育ったので、とても新鮮です。
<部活>
ちなみにWilliamsは部活がものすごく盛んです。一日2回、毎日部活に所属している人は練習をして、週末は他大と試合です。
そしてやはり施設がいい。例えばテニスの場合、アウトドアが20面、インドアコートが5面あります。ナイター完備ですし、外コートはコート全体に響きわたるほどの大音量で音楽を流す設備まであって、テニスの授業中は皆でステキな音楽を聞きながら楽しく自由にテニスをしています。アウトドアのコートは周りが山なので、もはや授業というよりリゾートです。
|













|
この記事の先頭へ戻る
◇ 2011年9月 ウィリアムズ学生生活スタート!〜濃〜いオリエンテーション〜
◇ 2011年8月 東大生の夏休み〜いよいよ出国〜
◇ 2011年7月 東大1学期を終えて〜素晴らしい出会い〜
◇ 2011年6月 アメリカの大学と日本の大学〜東京大学の教育〜
|